震災後初。

2011年7月13日 日常
週末、震災があってからはじめて映画を見ました。
なんとなく、余裕がでてきてるのかも。

監督&美術監督の舞台挨拶があるというので行ってきました。
サインもらったよー。

週末は、記憶なくすまで飲んだりしてたのしく過ごしました。
よっぱらっていただきものをお店にわすれたり、となりに座った殿方とそれぞれ別々にお店を出て2軒目で合流するつもりが帰るタイミングを逃して、結局そのまま1時半までぐだぐだ飲んでたりとか、ほんとごめんなさい。
女としてっていうか、それ以前にひととしてごめんなさい。
だって、いろいろめんどくさかったんだもん・・・



7月7日の日記

2011年7月7日 日常
ごとうさんのところに行ってきました。

朝一で江の島の水族館に行って、生しらす丼を食べてそそくさと帰ってきました。
あの暑い中、歩いて島に渡る体力はなかった・・・

前回江の島に行ったときは生しらすがあがってなくて、釜揚げかかき揚げか散々迷って、かき揚げ丼を頼んで、「ほとんど衣の味しかしないよ・・・」とテンション下がってたごとうさんは、嬉々として食していました。


やせたねーってほめられました。
あのひとは基本的にほめるってことをしないひとなので、よっぽどのことです。
ダイエット、引き続きがんばる!

今月はあともう1回会いにいきます。
今度のメインは某ホテルのバイキングです。
まずは発祥のとこ行ってみないと。
てか一人あたりの金額みて、庶民のワタシはとてもびっくりしたわけです。
ランチですよね?
新宿までの高速バス代より高いんですけど!
とうきょうってすごいなぁ。

自分の写真をメールに添付してくるひと。
おまえの写真は必要としてないぜ!
どうでもいいんだって、ほんとに!

あと、いつでもいいからもっとメールして、みたいなのもきもちわるい。

基本的に、ワタシはマメな殿方が苦手みたいです。
自分がマメじゃないからね!

がんがん押されるとドン引きします。
だんごむしみたいな女です。

相変わらずモテ期です。
自分で言っちゃってバカじゃねーのーあははー☆

きっと人生最後だなぁ(遠い目)
みんなこころ細いんだよね、きっと。

会うと元気がでるとか、メールもらえるとうれしいとか、そういうことを言ってもらえて、誰かに必要とされることはうれしいけど、正直重たい。
けっこうつらいです。







飛ばしすぎ。

2011年6月17日 日常
ふつー通りの生活に戻していこうぜ!

と息巻いて、震災前よりアグレッシブに動いているような気がします。
いつまでこのイキオイが持つかどうかびみょうですが。
昨日も美容室行った後に飲みに行って、後ろ髪ひかれながらも終電で帰宅。
うん、いい傾向です。
せめて平日は電車が走ってる時間には帰宅したいと思います。

6月は1時間しかごとうさんに会えてないので、来月は2回上京します。
それまであと1キロやせたい。

今日もヨガってきます。
今週は週3でヨガ。はまりすぎだろう自分。

しょぼしょぼ

2011年6月15日 日常
おむねが見た目でわかるくらいしょぼしょぼしてきたので、サイズを測ってもらいにいってきました。
1年ぶりの測定です。

うん、なんか全体的にちっちゃくなってたよ(´▽`)

体重が減ったってのもあるけどさぁ。
こうやって女のカラダは年をとっていくのねー。
なんかこう、『ハリ』がないもの。

まだまだ立派なんだけど、つけ心地がわるくなったブラ、捨てればいいのになかなか捨てられない。
普段のスタメンには入ってないんだけど、緊急時(洗濯がまわらないとか、今回の震災みたいなときとか)のベンチ組みたいな。
スタメンが不足気味なので、なおさら。
必要最低限すぎるので、補強しないと。

あと7キロやせる予定なので(笑)、またサイズがかわってくのなら、安いのでいいんじゃないのーとも思うけど、下着くらいはなぁと思うのも事実。




これっていわゆる「アカン方のやつ」だって、そういう判断はきっとひとよりしっかりできると自分では思っているけど、残念なのはそれをわかっていながら選択してしまうってこと。
その判断力、意味ないじゃん!

理性より好奇心のほうが勝っちゃうんだよね、いまだに。
もうそんなことしてる場合じゃないと思うんだ。
いつまで好奇心のかたまりでいるつもりなんだよ、自分・・・

ふかふか

2011年6月13日 日常
ふかふか
このまえサッカーみながらチケットゲットした交流戦に行ってきました。
ドラゴンズ戦です。
ドラゴンズ側です。まわりは青いひとたちでいっぱいでした。

牛タン食べながらにビールをしこたま飲み、燃えよドラゴンズを歌い、ごきげんでした。
ドラゴンズ勝ったしね!
ドアラにあまりやる気が感じられなくて、そこがまたかわいくて。
おもしろすぎる、彼。

前に座ってたひとたちは名古屋から来てて、「仙台にいっぱいお金おとしてくから!」って言ってました。
よろしくたのみますよ。
がんばってねーって言われて、一緒に写真とって、握手してハグしてお別れしました。
当然、初対面です。

試合のあと、Kスタのフィールド開放!
みんなグローブとボール持参してんの!
キャッチボールしたかった!

Kスタの中はふかふかしてました。
サッカーいえーい!とか言って、みんなでサッカーみて、そのあとカラオケパブに連れていかれて、お店でたころにはもう空がほんのり明るくなってました。
てかカラオケパブという業態のお店にはじめて行ったよ。

おうちついて、4時。
平日にこういうことやるのはもうやめないと。
カラダがもたないよ!
寝不足なうえに、なんかOPPだし!

帰ってきて、バッグの中みたら交流戦のチケットが。
たぶん、よっぱらったイキオイでワタシいきたーい!とか言ったと思う。
ナさん(勘三郎似)と今季Kスタ初参戦です。

もうすでに頭がはたらかないよ。
今日1日乗り切れるかどうかが不安。




わがふりなおせっつーことですよね。
これは試練だと思うんだ。


最近仕事が何気に忙しくて、遅い時間に疲れて帰ってきてるのに、家に帰るとおかんから愚痴をものすごいイキオイで聞かされる。
毎日よくもまぁそんなにでてくるなぁと感心する。
今日起きたことだけならまだしも、昔のこともほじくり返して思い出してはぐずぐず言う。
思い出すだけ不愉快になるだけじゃんって、ワタシは思ってしまうんだけど。

あぁゆっくりごはん食べさして。
ちょっとの間でいいから、ひとりにして。

とは、口がさけても言えず。

世の中のおとうさんの気持ちがすごくわかります。
ぜんぜん奥さんの話を聞かないとか悪口言われてるおとうさんたちね。
疲れて帰ってきてるのに、あんな話されたらはっきり言って気分わるくなると思う。
こっちは明日の仕事の段取りとかで頭の中そんなに余裕ないのに。
タイミングって大事。
話を聞きたくないわけではないのよ。

仕事が忙しいからって、おかんの愚痴を聞くほどのキャパがない自分もわるい。
でも、もうけっこういろいろ限界なんだ。

愚痴をこぼすのはわるいことじゃない。
でもそれを受け止めるひとのことも考えないといけないと思うんだ。
ワタシも気をつける。

それと、自分だけが大変だと思ってはいけない。
ワタシはこんなにしてるのに!とか、そういうのって自分で言うことじゃないよね。
誰かに言ってもらうのならまだしも。

報われないって思っちゃだめ。
報われるのを期待して何かをしちゃだめだな。

人生は日々べんきょうだ。


6月6日の日記

2011年6月6日 日常
不毛だなぁ、と思う。
やっちまったなぁ!(クール●コ風に)
不謹慎?
いや、仕方ないじゃない、事実なんだもの。


震災のあと、性欲が増した。

そして、

やたらモテている。

あはは☆

子孫を残そうとする、動物的本能なのか?
みんな心細いんだな、きっと!
ワタシに寄ってきちゃうってことは、震災のショックで正常な判断ができてないんだな!


ワタシのまわり、そういうひと多いよ!
なぜか性欲が異常だとか、けっこう聞きます。
てか異常って(笑)。どんなだよ。


ちなみに今、被災地周辺のラブホに行くと名前と住所書かされます。
なにかあったときのために、らしいです。
余震や津波の可能性もまだまだあるので、そのときのホテルの対応についても、チェックインの際に説明うけます。
一斉に部屋のカギを解除するので、お金払わずに避難してくださいって言われたよ。
↑経験者は語る

ほら、経済活動しないとね!
これも復興の一環ですよ!


そんなこんなで元気です。
ワタシはけっこうたくましいみたいだ。

GWは、津波でぐちゃぐちゃになった中学校の中に入って、写真とか学用品とか拾ったりしてました。
津波でぐちゃぐちゃになった風景を見るのも慣れました。
慣れる、ってことばがふさわしいのかどうかわからないけれど、前にみたいに胸がぐっとつまったり、涙が流れるなことはなくなった。
鈍くなったのか、たくましくなったのか。

いろんなつながりもできてきたので、これからも継続的に通います。
ワタシにできることは限られているけれど、何かしらの力になりたいと思っていて。


天気よすぎて、働くのがイヤになりますが、ほどほどにがんばる。

家のローンの審査も無事とおって、あとは引渡しのみ!
さっさと引越しして、足元固めてワタシは地元方面にボランティアにいくのだ。
できれば、継続的にやれたらいいと思ってる。
そのために、車売るのやめたんだ。
もう活動始めてるひとに連絡とって、明日打ち合わせ予定。

ごとうさんとは、どんどん距離が(汗)
向こうは仕事が楽しい、ワタシは家のことでいっぱいいっぱいで。
家族ごと被災地から震災なんか関係ない土地に行って、新しい環境で楽しく暮らしてるひとにこっちの状況報告するのもなんだか申し訳なくて、余計なこと言わないようにしてたり。
気つかいすぎなのかな。

このまま、気持ちが離れてしまっても仕方ないと思ってる。
それまでの関係だったってこと。
出来る限り努力はするけれど。
その努力の仕方がわからない。


しかし、家って余計なこと考えなきゃ案外簡単に買えるのね。
あははー☆びっくりしちゃったよ。

仙台と地元のギャップがすごすぎて、やるせないというか。


一緒に暮らしていた実家の家族が、一旦地元に戻りました。
水も電気もOKになったのです。
プロパンガスのボンベが盗まれていたそうで、父が怒っていました。
仕方ないと思う。
ボンベだけで済んだならよかったと思わないと。
家族も住む場所も仕事も失ったひとたちがたくさんいる中、うちは何一つ失ってないのに、仙台にさっさと避難してぬくぬくと暮らしてたんだもの。
ガスボンベくらいでガタガタ言うな。
父は地震当時、鹿児島にいたので避難生活を経験してません。
避難生活してたら、ガスボンベ盗まれたくらいで騒がないよな、ふつー。
みんな自販機壊したり、流れてきた冷蔵庫の中身食べてたりして生き延びてきてんだもん。


地震のあと、ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいで、そんなことワタシひとりうだうだ考えてたって、状況が劇的に変わるわけでもないのはちゃんとわかってるんだけど。

実家も多少地震保険がおりるらしい。
津波でぐちゃぐちゃになったおとーとの家も地震保険とお見舞い金みたいなのでるみたいで。

うちの家族は地元から出ます。
町自体、これから機能していくのかがわからないから。
復興計画は10年くらいで考えているらしいですが、詳細はまだみたい。
これから先、区画整備とかで実家に住めなくなる可能性もなくはない。

復興復興とみんな前を向きはじめているのに、私たちはさっさと仙台に家を購入して、早ければGWに引越しです。
ローン返済要員として、ワタシも同居します。

これでよかったのかなぁとふと思う。

ワタシ、地元がきらいでした。
田舎だし、住んでいるひとたちの性質もイヤで。
早く地元を出たくて仕方なかった。
でも不思議です。
今は地元で何かできないかって、思ってる。
GWは有休くっつけて10連休にするつもりなので、地元に行こうかと。
ワタシはたいしたことできないし、こんなのただの自己満足かもしれない。
でも、ずーっと悶々としてるよりは実際に動いたほうがいいんじゃないかって。

車で片道2時間弱の距離だし、できることなら継続的に何かやっていきたい。
自分の家が落ち着けば、これから週末ごとに通えると思う。
家族と同居するので車売ろうかなぁって思ってたけど、地元通うのに必要だって、思いとどまりました。
ボランティアで県内いろんなとこに行ってる知り合いがいるので、仲間に入れてもらおうと思ってる。

なんかうまくまとめられないけど。

ワタシはげんきです。


4月13日の日記

2011年4月13日 日常
とりあえず、ポイされないようにするためにはどうすればよいのか考えます。
ごちゃごちゃしてるけど、現実逃避するためにもちょっと上京してくるかなぁ。

またですか。

2011年4月8日 日常
みなさま、だいじょうぶでしょうか。

うちはライフラインも問題なし。
ですが、同じ仙台市内でも停電・断水・ガス漏れ多数のようで。
実家のライフラインが先日奇跡的に全復旧したのですが、きっとまただめになったでしょう。

もうかんべんしてください。
そろそろ許してください、地球さん。

せっちゃんの件は、かっこいいと思う!
ロックだねぇ。


ただでさえ協調性がない上に、12年てきとうに一人暮らしをしてきたワタシにとって、家族との同居はまーいろいろ考えることはあります、正直。

誰かといっしょに暮らすってのは大変なことですよね。
何事も適度な距離って必要ですよね。

今回の震災があってから、知らないひとでも平気で話しかけられるようになりました。

ほんとうにいろんなひとに助けてもらいました。
どろぼうしたりするひとたちもいたみたいですが。
圧倒的にやさしいひとのほうが多いです。
みんなで乗り切ろうっていう思いのひとが多いです。

地震後2週間で体重4キロ減りました。
1週間で2キロもどりました。

眉毛の手入れができなかったので、
眉毛がしっかりしました。
書かなくてもいい感じ。

---

地震のとき。
ワタシは会社にいました。

揺れは長く続きました。
1分以上あったと思う。

人間、極限になると笑ってしまうんでしょうか。

地震の多い宮城育ちゆえ、『地震がおきたら逃げ道を確保するためにドアをあける』という教育を小さいときから受けているので、地震の最中はずーっとドアがしまらないように抑えていました。
おとなりの会社のひとと顔を見合わせて、「ちょっとこれやばくないですかw」となぜか笑いがこみあげてきて。
「にげますかーw」
「いや、こんなに揺れてたら歩けないでしょうw」
笑いをこらえながら、地震中に必死にドアを押さえているアラサー女子2人。

揺れが収まってから、ビルの外へ。
地震の最中にすでに停電になっちゃったので、階段まっくらで。
ケータイで照らしながら、なんとか外に脱出。

どうすることもできず、ビルの外にいました。
15時くらいまではケータイがつながって、母から無事ですってメールがきてました。
津波はそのあと。
そのころになるとケータイはほんとつながらなくて、キャリアにもよるけど圏外の表示。
メールの問い合わせもできない。

停電だし、ビルの状態もよくわかんないし、とりあえず今日は仕事おわり!ってなって。
近所にある、前バイトしてたママの店に様子見に行ったら、プチパニック起してたので、とりあえず合流。
その時点でも自分が置かれている状況が把握できなくて。
途中、交番寄って情報仕入れようとしたり、新しく出来た法務局寄ってトイレしたり警備員のおじさんにワンセグみせてもらったり。
ちょうど、自分の地元が津波でやられたって報道されてました。
そこでやっと、これはすごいことになってるって思って。

結局暗くなりなりかけた頃に、家までの帰り道にある小学校にたどり着きました。
家もぐちゃぐちゃで寝る場所ないだろうし、余震の回数もすごかったので、さっさと避難所にいこうと思って。
この時点で、ママ、ママの息子さん家族、息子さんの店のバイトの子、そのバイトの子のともだち、とかなりの大所帯。

20時過ぎに毛布とストーブが登場。
でもみんなにはいきわたらず、子供と高齢者優先で。
ろうそくもつきました。
こんなに明かりをみてほっとしたことはないです。
食べるものなんてありません。
トイレはプールの水をみんなで汲んで、大のときだけ流すシステム。
ふいた紙は袋に入れてくださいって。

人がたくさんいて、足を伸ばせない。
余震も多くて、よく眠れなかった。

翌日は、昼間はおのおの食糧の入手や家とかお店の片付け、夜は余震がこわいので避難所に戻ってみんなで寝て。


実は、土曜日の時点で国分町(東北随一の歓楽街)は電気と水がOKでした。
すごい。県庁とか近いからなのかしら。
そんなこともあり、日曜の朝に避難所から撤退、拠点をママのお店にうつしました。
もうみんなテンションがおかしくなってて、お店空けられないからあまってた食材を食っちまおうってことになって、日曜日の夜は宴会してました。
超不謹慎。
でもどうなるかぜんぜん先が読めなくて、飲まないとやってられんって状況にすでになってたんだよね。

片付けて、みんなそれぞれおうち帰ったり寝るのにお店戻ったりして。
日曜日と月曜日はそんな感じ。
被災地のひとに申し訳ないくらい、いいもの食べてました。
ましてや酒まで。


で、15日。
いろんなことが重なって、なんとか実家の家族と合流できました。
みんな生きてた。家も流されてなかった。

とりあえず、ワタシのとこに一旦連れてくつもりでしたが、うちのアパートの配管が地震で壊れて水流すなって言われて。
事情話して、近くで同じくらいの広さの部屋をすぐ手配してもらって、引越し完了しました。
いま、2LDKに6人住んでます。あはは・・・



今週の月曜日。
津波で流されてなんにもなくなった地元を、実際自分の目でみて、なんとも言えない気持ちになって。
声も涙も出ない。
きっと、自分の処理能力を超えちゃったんだと思う。
一生わすれることはできない。

壊滅状態と報道されていた町で、自分の実家や家族は運よく助かって、津波のひどい場面も見なくて済んだ。
それが申し訳なくて、自分の中でいろんなことが整理できないでいた。
親戚はほとんど沿岸部にいて、みんな家や船が流されて、亡くなったひともいる。
なのに、自分たちは運よく仙台までたどりついて、あったかいごはんを食べて、おふろにも入れて、足を伸ばして布団でねむれていて。
ワタシがひとりでいろいろ考えたところで、状況は劇的に変わるはずないんだけど、どうしても落としどころを見つけられなくて。
それでも、やっと落ち着いてきたような気がする。

きっと、だいじょうぶ。

とにかく、今ワタシたちにできることはふつーどおりの生活を送ることだと思います。
自粛ムードはわかりますが、にぎやかにやってくれないと日本経済は活性化しません。
被災地以外の方、お金使ってください!
ふつーどおりに暮らしてください。
申し訳ありませんが、義援金の分もすこしだけとっておいてください。
今、被災した市町村ごとに口座つくって、直接お金がいくようになってます。
(ちなみにワタシの地元は役場と金融機関が流されて、まだ口座ができてません涙)
とりあえず、周辺の町に振り込んでおこうかと。
もっとお金があれば・・・!

一歩一歩、進んでいこうと思います。
こんなワタシにだって、できることはきっとある。
仙台の中心部より。

・コンビニの営業時間が長くなった!
並ばなくても入れるようになったよ。

・ドラッグストアの棚がうまってきた。

・ドトールが開いてた!
16時までやってるって。
ココア飲んだ!

・生卵が結構簡単に手に入るようになった。

・美容室も、15時までとかだけど営業し始めてる。

・SEIYU24時間営業開始。一部店舗だけど。

・JR在来線も区間限定だけど復活。
地下鉄もずいぶん前から区間限定だけど復活済み。
地震の3,4日後くらいじゃないかしら。

同じ仙台でも、津波で壊滅したとこもあるのに。
中心部はだいぶ落ち着いてきてます。

道端でたくさんお弁当とかお惣菜とか売ってるので、お昼ごはんには困りません。
お店もずいぶん開いてきました。

東北新幹線もGWあたりには復旧の見込みだって。
日本人ってすごいなぁ。

電気もけっこうすぐについたし、水だってそう。
でも、地域によってかなり差はある。
うちの実家のほうは水の復旧のめどが立ってないって。
その影には寝ないでがんばってくれてる人たちがいるってこと、忘れちゃいけないね。

ガソリンもだいぶマシになってきました。
ひどいときは10時間並んで20Lしかいられないないとか、そういう状況だったので。


とにかく、今までが贅沢すぎたんですよね。


---
ワタシが生まれるちょっと前に大きな地震が宮城であったのですが、そのときだって、宮城はもうだめだって言われたんだって。
今回は地震プラス津波なので、同じようにいくかって言ったらそれはまだ別の話だけど。

ワタシやワタシの家族は奇跡的に被害が少なくて済んで、なんだか申し訳ないような気がして、落としどころがつけられないというか、ずーっと心の中がもやもやしている。

よせばいいのに、おととい会社休んで、津波でなにもかも流された生まれた町に行ってしまって。
こんなことしたら、余計におちるだけなのに。
なんか、確かめたかったんだよね。
テレビや新聞でみてたし、話にもきいてたけど、ほんとなんにもなくなってた。
見晴らしがよすぎて海がきれいで、声も涙もでなかったよ。

でもね。
被害の少なかったワタシのような人は、うじうじしていないで、今自分ができることをしっかりやって、自分の力で元の生活に戻していかなくては!って、やっと思えるようになってきた。

がんばろう日本とか、そういうのいらない。
実際に避難所で暮らしてる人たち見たら、そんなこと言えなくなる。

『大変とかいうのはとおりすぎて、もうことばがみつからない』

って、避難所で暮らす友達からのメールが忘れなくて。

がんばりたくてもがんばりようがないんだもの。
乗り切っていくしかないんだ。

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