私は数年に一度、ものすごく“後ろ向き”になる期間があります。
もう何もしたくないの。後ろ向きだから、今、目の前にある物事に何の執着もなくなる。もうどうでもいい。
後ろ向きと言っても過去を振り返るわけでもなく。正確に言えば、“後ろ向きで目を閉じてる”状態。
この状態は頻繁に陥る状態ではなく。そりゃ、人間してればたまに落ち込んだりすることもあるけど、ここまで落ちたのは久々だった。

そう、やっと最近になって復活したわけなのです。

後ろ向きになってしまう原因というのは、外部的なもの(誰かになんか言われたとか)ではなく、明らかに内部的なもの。つまり自分自身の問題。それゆえ、自分でなんとかできそうなんだけど、実はこのほうがやっかいだったりする。内部的なものであるがゆえ、根本的な原因がわからないのだ。もうぐちゃぐちゃ。いろんなものが絡み合って自分のことなのに整理できない。
こういうときは誰かに話を聞いてもらえばいいのかもしれないけど、自分自身も整理できていないことを他人に伝えられるかって言ったら、それは無理な話。脈略のない話をぐだぐだ話す元気すらない。

ハタから見ればいたってふつー。そんな後ろ向きな感じはまったく与えてない。誰かと会えばふつーに笑ったりってことは可能。だからそんな自分がなおさら痛々しく感じて、ひとりになったとき、さらにへこむ。誰かと一緒にいれば余計なこと考えなくていい。ひとりでいても、何かしてるときはいいんだけど、何もしてないときがこわい。例えば夜寝るときとか。ベッドにはいって、眠りに落ちるまでが長い。眠れない。いつの間にか朝になる。

もしかしたらビョーキなのかなぁって思ったりもした。
けど、いつもどおりの生活を送れてる。だた、いつもなんかぐちゃぐちゃしてる感じはしてるんだけど。
もうすべてのことに対して、「その物事が持つ意味って何?」って疑問に思う。“勉強がんばって、いい大学を出て、いい会社に入って、がんがん稼いで、贅沢したって、死んじゃったら結局そういうひともそうじゃないひともみんな一緒じゃん”とか。もう極論ですわ。厭世的思想とでも言いますか。今は通常の状態だからアホくさいなぁって思うけど、そのときはそう思ってしまうんだから仕方ない。

もう自分でも収集つかなくなってるんだけど、自分自身のことだから自分でなんとかしよーと思って、誰にも言わずにずーっとずーっとそのうずまきの中にいた。いつかきっと何かのきっかけで浮上できるだろうって信じて。私を劇的に掬いあげてくれるのは自分自身でしかないと信じて。

けど、ちがったみたいだ。
私は自分でなんとかしよーと、必死にもがいてたわけですが、あっさり掬いあげてくれたひとがいました。
私がひとりで悩んでいた時間はなんだったんだろうって疑問に思うくらい、簡単に。

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